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  • 2011.09.21 Wednesday
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「正しい言葉を使うべきである」

 「正しい言葉を使いましょう」と言う意見には同意できない。

正しい言葉を使うメリット:
話が伝わる可能性が上がる。素晴らしい事ですね。

正しい言葉を使うまでに至るデメリット:
 1点、まず膨大な量の言葉とその意味を正確に覚える必要がある。一つ一つ一言一句の揺らぎも許されない。その為に費やす時間はどれ程のものだろう。

 2点、正しい言葉を使えなかった場合の弊害が人為的な意味で大きい。現状において正しい言葉を使えなかった場合、その人の人格にまで攻撃が及び、伝えたかった真意すら一蹴されるケースも存在する。2chやブログを見てれば分かるだろう。 高々「的を得る」と言っただけで海の向こうの人認定だって実際起こっている(的は射るものらしい。ただしルーツを辿れば「正鵠を失する」が元祖であり、そこから派生して「的を射る」に至ったと言っても良い。個人的には「失する」の反対である「得る」でも問題無いように思えるのだが)。

 3点、と言うか1・2点の捕捉。そこまで全部正確に使う必要は無い、基本的なことだけでいい、と言うのであれば、ではその基本的な事とは何か?その基本的な事の定義こそ、非常に恣意的になりやすい(なおここの恣意的という言葉は誤用。恣意的の本来の意味は「気まぐれ」やその類の意味であり、使うのであれば意識的等が正しい)。

 4点、「言葉は生き物なので刻々と変化していく」と言う主張をする気は無いが、どの時点での言葉を正しいとすべきなのか?そもそも言葉人類とほぼ一体の歴史があり、どの点にまで遡ればいいか判別も仕切れない。 「言語道断」の元の使い方を知っているだろうか?元々は仏教の教語であり、「言語に道断する美しさ」と言ったような肯定的な意味で使われていたのである。現在でも一応そのような意味で載っている辞書もあるが、否定形以外で使われる事はほぼ無い。

 以上、正しい言葉を使うに至るまでにおいて、メリットに対してデメリットが大きすぎる。人類にとってこの重石は本来身動きが取れなくなるくらい酷な事なのだ。ただ深く考えずに「正しい言葉」とやらに囚われているから、この重さに気づかず、他者にも強要しようとする。自分が動けなくなっているとも知らずに。そもそも間違った言葉の揚げ足を取っていた人間が平気で「お前爆笑したわ」とか言う世の中である(爆笑は本来複数人・大人数である時に使う。お前はそんなに大勢でモニター眺めてんのかと)。これを滑稽と言わずになんであろうか。

 全く伝える気の無い会話や文章も問題だし、揚げ足を取りたがる人間も世の中には多いので目に余る場合は多少の訂正もするが、伝わる限りは言葉に正確性など求める必要は無い。と言うよりも、完全無欠の正確性など不可能だろう。

「専門用語を擁護する一つの意見」

 「横文字が多すぎて話を聞く気にならない」や「専門用語ばかりで伝える気がない」と言う意見は学ぶ事の放棄だと思う。単語や用語が分からなくても大抵は調べられるのが今の世の中である。
仮に「人に話をする時は分かりやすい言葉を使うべきである」と言うのであれば、その分かりやすい言葉ってもの自体が大変胡散臭い。

 他人が知っている言葉や単語なんてものは千差万別で、長く論を交わしていて手の内心の内をよく知っていると言う相手ならともかく、世間話をする程度の相手でも国語的な教養は計り知れない。何が相手にとって分かりやすい言葉なのか。何を知っているのか?正確に推し量れる自信は無い。
 もう一つ、多くの人にとって分かりやすい簡便な言葉なんてのは大抵の場合、その汎用性による受け取り間違いや、長文化による煩雑性と言うリスクも抱えている。

 私自身物事につき相手に合わせて用語や説明を変える、と言う事をしているが、簡易な言葉で説明しようとすれば何らかの枝葉を端折る必要が出てくる。専門用語を使って説明する場合と比べて相手に伝える事が出来るパーセンテージは下がると考えていいだろう。実際のところ私自身も説明上手と言われるこの能力を手放しに長所とは思っていない。先のデメリットに加えてアウトプットに自己の意図が入るからである。
 もう一つ個人的な意見ではあるが、分かりやすい言葉ってのは、その、何だ、洗脳能力も高い。

 冒頭で強い言葉を使ったが、無論専門用語にも一般的な用語に対して裏返しのメリットデメリットはあり、時として自己の権威付けの為に使われる場合もある。無論こんな使用法は論外だ。ただ、専門用語と一般用語両者に大きく差があるわけではなく、その選択は各人の自由に委ねられている。分からないからと切り捨てていてはスタート地点にも立てない。もし説明に専門用語を駆使する人が出てきても、可能な限り用語につき調べてみると良いと思う。調べる癖は思考を鍛え、判断を広くする事が出来る。


「受験勉強」

 受験勉強やら学歴社会については個人的に昔から思うところありまして。
 私自身も学歴に関しては中学受験、そして大学受験を経験し、失敗も成功もした身でして、その当時から自分なりに考察、そして持論は持っています。


 受験勉強して良い学歴手に入れましょうってのはまあ、色々言われてますが自分が考えるに楽な道進みましょうって事なんですよね。
 例えば国家官庁に勤めて国を動かしたい!って思ったとするじゃないですか。これ、別に学歴無くたって行こうと思えば行ける。ただしその道は恐ろしく険しく、東大やらを経由してそこから行った方がよっぽど楽に行けるんですよ。他の事に対してもそう。学歴を持っていれば有利な選考を受けられる、同じ程度の能力だったら学歴が優先される、と言う事も今の世の中、特に就職に関してはかなりあります。企業やらは未だに学閥と言うものが根強いです。
 そして別に高い学歴があるから他の道にいけない!と言う事はとても少ないです。正直一度学歴なりを手に入れてからでも充分間に合うレベルです。(まあ若いうちから脇目も振らず、ずっとそれ一筋にやって行かなければいけない、という事もあるでしょうけど)

だから別に学歴あるから偉いと言うわけでもなく、学歴が無いからってどうと言うことは無い。だから学歴があるからと言って無い人間に対して尊大に接するのは間違っているし、学歴が無いからと言って、学歴を持ってる人間に対して「学歴とそれが中心に回っている社会は害悪である」と言うのもまあ、的外れであります。学歴を使って楽な道に進もうとする人間の大半は、学歴が無くなったら無くなったで別の手段を見つけるなり創造するから…若しくは親なり教師なりがその道を提示するだけで、学歴とはその手段に過ぎないからです。


では、学歴を持っている人間に対して浴びせていい悪言とは何か?

「楽な方選びやがって、軟弱者が」

こう言うことですわ。
楽しようと思ったらまあ適当に学歴持つと良いよ。

学校で何勉強するかどうかや、学歴手に入れる為に費やす時間を別の事に使いたい!ってのはまた別の話。そっちの方が重要だって人にとっては学歴なんて全く必要ない物ですん。

「料理のさしすせそ」

さ…砂糖
し…ショ糖
す…スクロース
せ…セドヘプツロース
そ…ソルビット


セドヘプツロースのもやもや感が半端無い。もうちょっといいものは無いだろうか。

「はい、ここテストに出るよ」

問:
A所有の甲土地上に保存登記の済んでいない乙建物が建っている。

Aは1月上旬に死亡しその相続人にB,C,Dの三人がいるが、口頭での協議の結果甲土地及び乙建物の相続人はBとなっており、その旨の分割協議は同年8月になされる予定である。

しかしながら乙建物建造費用に対する債権者であるX銀行は、甲土地及び乙建物に2月末までに抵当権を設定するつもりであり、もし抵当権が設定されなければ乙建物建造費用につき請負業者との間で債務不履行になる可能性がある。

この場合、現実的に考えられる登記の流れはどうなるか。



都合により凡そフィクション混じりではありますが、こんな何かの試験に出るような問題が起こるとは思わなかった。



以下考察

「男女の問題」

 googleホリデーロゴ小中学生対象コンテストの選考作品である。

 子供の発想力ゆえなのかそれとも個人が備えている感性なのか、それとも我々とは違うエリート的な何かなのか、どのロゴも創造性と緻密さを感じる。大胆な作品よりも細々と描き込んでいる作品が多いのは、クラスの代表作品を選ぶ段階で教師なり若しくは選考者なりがそう言ったものを選ぶ傾向にあるからであろうか?もし私がgoogle社員なら、描き込みよりも独創性を重視した作品をより多く選ぶであろう(僕はgoogle社員じゃないから関係無いけどね!)

 それより何より、最終選考に残っているものは、女の子の作品(名前から判断しているので、ひょっとしたら女の子みたいな名前と言うだけなのかもしれないね。でもそれは考えたくないよ。もしそうだとしたら、この文章は全く意味の無いものになってしまうじゃないか!)が圧倒的に多い。特に中学生が顕著である。これはもともと女性の方がデザイン的なものの感性が優れているからなのか、それともこの時期の女の子にデザイン感覚を養う土壌があるからなのだろうか?

 私としてはまず前者があり、後者がそれに追随する、と言う見方を持っている。つまり、デザイン感覚が優れていると言う事を前提に、絵を描いたり服飾をデザインしたする仲間が集まり、結果土壌が造成されると言う見方である。これは男女間に先天的なある程度の差を見出すと言う点において、「男女の間に差は無い」という考え方と少なからず対立する。

 最近の脳科学の分野では「男女の脳には確かに違いはあるが、あくまで個人差の域を出ない」と言う学説が主流となりつつあるそうだ。生活レベルにおいても男女と言うカテゴリーだけでその人を当てはめた、短絡的な男性らしく・女性らしくを嫌う人は多くいる。そして私自身もそう思う(稀に「楽だから」と言う理由だけで男女のカテゴライズをしてしまい、他から猛攻撃を食らうことがあるのはご愛嬌だ。反省しているよ)。

 ただ、教育分野や幼少期の成長過程において男女の待遇の差がほとんど無くなり、個々人の自由が尊重される中で、デザイン的なものでは女の子の作品がより多く選考対象に選ばれていると言うことは、少なくともこの時期に関しては女の子の方が絵を描く・デザインすると言ったことを好む人が多く、それに伴い活動するパイも大きくなり、また、選考に選ばれるだけの感覚を持っている人が多いからではないか、と私は考える。平たく言えばデザイン的な感性が優れている、若しくはそう言ったものを好む思考があるからこそ、土壌が造成されると言う意見だ。この辺りはやはり、差があるからこそ生まれてくるものではないか。(追記ではあるが、一応色々小中学生を対象としたデザインコンテストと言った類の入選作品を見て回ってきた。やはり女の子の方が入選率が高い。但し航空機のデザイン等のような男の子要素が強いものに関しては、男の子の方が多かったと言う側面もある。)

 無論男性の全てがそういった面で劣っているかと言うと、決してそうではない。現在デザインや絵画の分野で活躍されている男性の方は多くいるし、今回のgoogleロゴデザインで選考に残っている男の子の作品も大変素晴らしいものだ。そして中世期の有名な画家の殆どは男性である(但しこれはパトロン獲得のしやすさや当時の人々の男女の見方の違いも多々あり、一概に男性の方が優れていると言う論拠にはならないけれども)。

 長くなってしまったが、私の意見は大体こんなところである。この分野において最先端に研究していると言うわけではなく、また個人の考えからくるものなので、対立している意見からしてみれば反論の余地も数多くあるかもしれない。目の前でパソコンに突っ込むのも良し、コメントに書きなぐるのも良しである。蛇足ではあるが脳科学にしろ性格分析にしろまだまだ研究途上であり、未来に対して思考の余地がかなり多く残されている。ひょっとしたら全てを覆すとんでもないものが発表されるかもしれないし、そんな事があっても不思議ではない。



 最後になるが私が一番押しているのはこの作品である。大胆な勇気と独自の発想を併せたこの素晴らしいロゴに惜しみない拍手を送りたいと同時に、稚拙ながらこう言った事を考えるきっかけを頂いたgoogleに感謝の意を表したい。

「2010/1/14」

 昨日のお休み日記タイトルが「2009/1/13」になってやがるの。
いつまで平成21年気分なんだおるぁ今は平成22年だ!近未来だ分かるか!?
平成21年なんて言ってみればまだまだ昭和よ!22年からようやく本物の平成の夜明けぜよ!!

竜馬伝は見てないんですけどどうでしょうか。個人的には大河ドラマはそろそろ戦国や幕末動乱期のちゃんばらの主役ではなく、岩崎弥太郎や渋沢栄一なんかの経済人、若しくは前島密辺りを見てみたいんですけど、残念ながら世間一般の需要が無い。

あと多分一ヶ月以上ドラマとか見る気力が無い、残念無念。

「暖を取る」

ホッカイロは株式会社白元の登録商標であり鉄粉末の酸化作用により熱を発するものはカイロ及び使い捨てカイロと呼ぶ。
カイロは元々「懐炉」つまりは懐に入れるて暖をとるものでありその形態は温席やジッポオイルを使う携帯式湯たんぽのような物など様々であったがいつしかその利便性から使い捨てカイロが主流になっていった。日本人の半数以上はこの使い捨てカイロのお世話になった事があるのではないだろうか。
この使い捨てカイロは日本独自のものであり諸外国に存在している例は少ない。よくてアジア等に日本からの輸出品が店頭に並ぶ程度である。


何故こんな事を書いているかと言うと長年苦楽を共にしてきた足元ヒーター様がつい先日息を引き取りまして、我が部屋に暖房器具がパソコンしか無いと言う状況なわけです。

何か暖かいことでも書いて暖を取ったつもりになろうとかいうマッチ売りの少女的なと言いますか普通に新しい電気ヒーター買ってきた方が早いですよね、そんなに高くないし。

「建設現場」

 高層ビルを建てるとき、建設中のビルの最上段でクレーンが頑張っているのを見かける。

一体どうやってあそこまで行くのかと言うと、どうやらクレーンは登るのが得意なようで、建設中のビルの鉄骨部分を尺取虫のように登っていくらしい。

こうして建設の過程に従いながらどんどん登っていくのだが、問題はビルが完成して最上段で役目を終えたクレーンであるが、尺取虫の要領で外壁を伝って降りる動作は登りに比べて大変危険なようで、別の方法がとられるのである。

その方法とは、最上段にある大きいクレーンより一回り小さめのクレーンを登らせて行き、その小さいクレーンを使って最上段の大きいクレーンを解体し、小さいクレーンで大きいクレーンの部品を下に降ろす。その後最上段にある一回り小さいクレーンよりも更に一回り小さいクレーンを登らせて、上の作業を繰り返す。
最終的に完成したビルのエレベーターで移動できるサイズのクレーンになるので、人間と一緒にエレベーターで降りてくるのだと言う。



そんな話を昔古典の先生から聞いたのだが、何故古典の先生がそんな事を知っていたのかは定かでないし今となっては知る由もない。
ただ今日、ふと日本クレーン協会のサイトを見ていたらよくある質問の項目にそのような事が書いてあったので、クレーンの話は真実だと確信ができた。

恐らくこの話を別の人間にした時、「お前はなんでそんな事を知っているんだ?」と言う事になるのだろう。

色々興味深い。



それよりも何で日本クレーン協会のサイトなんか見ていたのか、誰か教えて欲しい。

「悪役サンタさん」

ルドルフ「くくく、よく来たなお前達」

ルドルフ「まずは8トナカイ達を倒してくれたことに礼を言うぞ。 あいつらはこの計画が終わった後私直々に始末する予定だったからな…その手間が省けたと言うことだ」

ルドルフ「後は奥にいるサンタを倒せば世界は私のものだ…!」

ルドルフ「そして、お前達はどうするのだ?我が下につき働き続けると言うのなら歓迎してやらぬこともない…お前達は少なくとも8トナカイ達よりは使えそうだ」

ルドルフ「それとも、今この場で生き絶える事を選ぶか!」

ズシャーン←ボス戦開始の音


某氏のツイートをインスパイア。8匹のトナカイと統率役のルドルフ、そしてサンタクロース
果たして、主人公達は悪の根源サンタとその参謀ルドルフ、手下の8トナカイ達の野望を打ち砕けるか!
これまんまSO2の十賢者やん。

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